私的広辞苑

わたしが息をするための場所

ころもちの想い②

ころもちの思い①

 

ころもちは、楽しく生きていきたい。

 

バカみたいな発言かもしれないけれど、ほんとうにこれに尽きる。まいにちが輝いていなくたっていいから、小さなしあわせに気づくことができる余裕を自分でつくれる能力を身に付けたい。←この、能力というところがポイント!笑

 

そして、別れを受け入れられる様に生きていきたい。

人は不死身ではないし、人は状況に応じて去っていく。そういうときに、強く孤独を寂しさを感じたときに、私は一人で、この脚で立っていられないと今からでも思っている。

確かに、人と死別してしまうことは、心に穴が開いた様な、世界が灰色になってしまうようなそんな感じになる。分かる。克服なんて出来ない。つらい。

ただ、ある程度は知識や経験でカバーができると思っている。多くの先人たちが、それぞれの大切な人たちと別れを繰り返して、いろんな気持ちを言葉にのせて、筆を走らせて後世に残してくれている。そういうのを読んで気の紛らわせ方を知ったり、別の角度からの考え方を知ってみたりしたい。そして、生きているうちにいろんな経験を、大切な人たちと一緒にしていきたい。思い出をたくさん作りたい。たとえ、想いでの数だけ寂しさが増えたとしても。

そして、世界中にともだちを作りたい。そうして出来たともだちと、たくさんの世界を一緒に見て話したい。そういうことをしていたら、忙しすぎて悲しいことを考える時間が減るかもしれないなと思っているよ。

 

ころもちは、とてもとても弱い人間だ。

すぐにくよくよするし、泣くし、気を遣うし、気にする。

そういうのをなんか…こう、もう少し大きな枠組みでとらえられるようになったら、もう少し生きやすくなるのかなと思っている。

 

オーストラリアへいく決断をしたのに、気持ちが揺らぐ事がある。特に両親や家族が歳を重ねて出来ないことが増えてきた姿を目にしたとき。年老いていく人と、病気と戦っている人と過ごす時間を減らしてまですることなんだろうかと、自分に問う。

 

有り難いことにその人たちも、さみしい気持ちを持ってくれる。

でも、私の幸せも願って、私の挑戦を応援してくれている。

私も寂しい気持ちがあって、ごめんねという気持ちもある。

でも、(両親にとっての)子供らしく自分のしたいことを迷惑のかけない範囲で、そして幸せになれることで、やるという多少のわがままを言うのもいいなと思う。

 

いろんな葛藤をしながら、不安や苦しみ悲しみ、申し訳なさという、よくわからない感情を抱えながら出国まで生きようと思う。悔いのない、そして人を憎まないで済むような決断をしていきたいな。

 

文字通り、この決断を出来る、そしてそうする選択肢があるという状況に有難いと感謝をして生きていこうと思う。

 

 

小坊主へ

私たちは本当に有難い環境にいると思うよね。その話したから覚えているかな。自由にのびのび出来ることって、あとを考えたらなかなかないと思う。難しいけれど、文句をいったり、嫌なことをいったりできるのは、私たちの周りの人が元気で生きていてくれているからなんだよね。いまが一番若いんだから、無駄にしないように生きていきたいね。

そして、小坊主。本当にありがとう。オーストラリアへ行きたいと言った私の為に、お仕事をやめて支えようとしてくれて。本当にありがとう。そして、途中でやる気を完全に失くしてしまってごめんね。元気がなくなってしまって、動けなくなったこともあったね。それなのに「オーストラリアで英語は話せないかもしれないけれど、大丈夫!俺がその場合は稼ぐから大丈夫だよ。それに数日で帰国したくなったら、帰国してもいいじゃん!オーストラリアで住むのが難しいというのが分かっただけでも収穫だよ!大丈夫。なんとかなるよ。行ってみよう」という言葉にどれだけ助けられたか。

将来私たちの家族になるひとたちに伝えたいな。こんなに素敵な考え方が出来る人がいるよって知ったら、みんなビックリして転がっちゃうかもね:)笑

 

オーストラリアへ行けますように。